昭和51年03月30日 朝の御理解
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛ではないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」
本当の繁盛というのは、細い道でも踏み広げていくというのが繁盛だと、教えておられます。でないと結局道に草を生やすような結果になってしまう。昨日は野口さんの所の謝恩祭でした。まあそれこそ細い道でも信心が、このようにまあ続いておる。だから続いておるというだけではなくて、それが踏み広げられていかなければならない。ただ続いておるというだけではいけん。
昨日あちらから迎えに来て頂く時間になりましたから、ここでご祈念をさせて頂いて、そして立とうと思うておる所へ迎えに来て頂いたんですけども、お知らせを頂きます事があの、昔の手習い草子ですかねこのそれこそ真っ黒になるまでこうこう書くわけです。それがあの真っ黒になっとるのですけども、字を書いておって真っ黒になっておるのじゃなくてこう持ってから筆で例えば汚しておるだけなんです。そして真っ黒になっておるいかにも稽古をしておるごとあるけれども、稽古ではないわけなんです。
だから信心の稽古を日々怠らないと言う事が、私はあの細うても長う続くことだと思う。ただそれはお参りをしておるとか、毎晩御祈念をしておりますとかと言った様な事ではなくて、矢張り信心の稽古が信心も手習いも同じ事と仰せられるのですから、ただ硯墨を摺って筆を持って、そしてそれをこう書くのではなくて、ただその紙の上に真っ黒く墨を塗っておるというだけでは、私はそう言う人が実はこれは、野口さんの所に出かける前だから、野口さんの事と言うのじゃなくて。
私を始めまあ多くの沢山の例えば、信奉者がそう言う人が多いのではなかろうかと。信心はしよるけれども、金光様の信心をしよるけれども、熱心にお参りをしよるけれども、稽古をしよらん、ただお参りをして来ておる事が、稽古と思い違いしてはならない。矢張りその、まあいろはにほへとでも良い、一生懸命書かせて頂いて、そしてそれが真っ黒く、真っ黒なると言う様な、信心でなからなきゃならんけど、筆は持っておるけれども、それをいわば習字の稽古をしとるとじゃない。
所謂信心をさせて頂いておる、おかげを頂いておると言う事だけではない、と言う事です。信心の稽古をさせて頂くと言う事。日々お参りをする御教えを頂く、そしてその御教えにまあ本気で取り組むと言う事が、又実際問題と教えとを等分に頂きながら、その中にどうある事が稽古をさせて頂く事かと。先日あの丁度日曜の日でしたかね。の朝のご理解に、信心の真と言う事を頂いた。
だから信心を頂いておるということ、させて頂いておると言う事では、稽古にはならん。信心はどこまでも信心させて頂くものでなからなければ、使えない心の状態を使ったりその心の状態を、又形の上に表したりしていく稽古。信心の言うならば真を日常生活の上に、現していかなければ稽古にゃならん。丁度そのご理解を頂かれ、福岡の川上さん方日曜は必ずああして親子四人で参って見えます。
御祈念を頂きご理解を頂いて、帰り道に自動車が道にこう横転しておる、ひっくり返とった。それを何人かの人でまあ起こしておられる所を通り合わせられた。そん時に川上さんが「さあこれが信心の真を現すとばい、さあ皆でおりてからおかげ頂こう」と言うたという話をその翌日しておられました。そりゃ人が難儀な所になったり、そこを通り合せたら、大概な人なら矢張り、親切心と言うものがありますから、それにならお手伝いをすると言う事でございましょうけれどもね、だからそれだけではいけんのです。
これが信心の真を表すのだと言う所に、もう既に稽古をしておると言う事になるんです。真とか一心とかと、それこそお道の教典を紐解きますと、沢山出てまいります。ですから、信心をさせて頂いておるようで、信心の真をです現していくということ。ね、だから形の上では同じであっても、さあこれが今日頂いたばっかりの信心の真を、一家中で現すとばいというて、下りて手伝わせて頂いたと言うのです。
さあ今日からは、親先生がああ言われるように、本気で一つ合楽教会の大発展の御神願が御成就に相成りますようにと言う事をお願いしょう。町内のこともお願いしょう、隣近所の事もお願いしょう、又自分に係わり合いのある、縁のある人達の事もお願いをしょうと言う様にです、私はそういうあり方を身に愈々付けて行くと言う事が、信心の稽古だと思う。そういうね私はあの、稽古を続けて行くと言う事が、必ずそこには必ず体験が生まれて参ります。
ただ一心にお参りをしてお取り次を頂いて、おかげを頂いてと言うだけではなくて、そこに信心の稽古がです、真を現すと言う事に稽古の焦点が置かれる。おかげを頂くと言う所に置くのではない。信心の真を現して行くと言う所に信心の焦点が置かれていく。段々体験が生まれてくる、分からなかった事が分かってくる。目に見えるおかげよりも、目に見えぬおかげの方が多いと仰るような、知ったおかげより知らぬおかげの方が多い、と言った様な所が分かってくる。
ただ私はあの信心の真を現すと言う事はこう言う事だと、又はどう言う事であろうかと心の中にいつも、研究をするというか稽古をさして貰う、それが私は筆を持っていろはのいの字とはろの字とははの字とは、というて稽古をして行く事書いておるうちには、格好もよう書けるようになる。もうすらすらと手紙の一本も書けるようになる。それが私は神様へ通じて行くのであり、それが私は細うても長う続かせて頂く、しかも続くだけではない、踏み広げて行く事のでけれる信心とは、そう言う信心だと思う。
どうぞ家繁盛、子孫繁盛をただ願うだけじゃいかん。子孫繁盛家繁盛になって来る様な、そう言う道を歩かなければならない。それは信心しとればよいと言う事ではない。信心の真を現しつつ、でその現しつつと言う事が、信心の稽古をする事である。参ったり拝んだりする事が、信心の稽古じゃない。勤めておるならば結局勤めておる所の、なら会社なら会社に勤めておるとするならば、その自分が勤めておる所の会社の、いうならば発展を願わせてもらう。
従業員としてもう願うのが当然なことだけれども、給料の上がる様な事は願っても、その店の繁盛は願わんでは、本当の事ではない。自分の勤めておるお店ならお店、会社なら会社の事を願わずにはおられない、それが信心の真を現して行く事なんだ。本当言うたら自分のいうならば、競争相手又は商売敵と言う様な人達の上にも、祈りを送らなければおられない。それが信心の真を現して行く事。ほらもうあんやつに負けてなるかと、言った様な事で一生懸命頑張って、信心しておるというのでは。
さあそら負けんかも知れません、負けんようなおかげを頂くかも知れません。けどもそれではです、いわゆる信心は信心を踏み広げていくと言う事に繋がりません。稽古には信心の稽古には、なりよりませんもん。皆さんの周囲には願わずにはおれない、当然願わなければ、私が願わしてもらわなければ願うものはおらん、と言った様な人達やら事柄が必ずあると思うです。でないとね信心が分かりません、信心が分からないと言う事はです、おかげがおかげと分かりません。
私の信心の低迷時代と言う様なお話しをして、もうお礼を申し上げなければならない事に、お礼申し上げる段じゃないもうそれこそ、恨み骨髄と言う様にね、この事だけは忘れるもんかと言う様な、神様のおかげを頂いていくと言う事に、もうふさわしくない、神様に、いうならば嫌われる心の状態。昨日吉井の熊谷さんがお届けの中に、本当にもう合楽に御神縁を頂いたと言う事の、有難さと言うものがだんだん、段々もう広う深うなってくるとこう言われる。
私は信心を踏み広げていくと言う事は、そう言う事だと思う。おかげと思うておる事が、百思うておったのが、千も万も分かってくる。二十何年間も続いた裁判問題の事がです、もしあれが合楽に私が、ご神縁を頂いていなかったらです、もうそれこそ孫子の末まで隣同士にはおられるご親戚ですから、ね、もうそれこそあちらにお母さん達が苛め抜かれたと子供にも伝え、孫にも伝えてもう子々孫々、敵同士の様な事が続いたに違いはないのだけれども、返ってもうお礼が言いたい様な心の状態。
あちらの親戚のそのおじいさんが、亡くなられるとき何十年間、いうならば裁判の相手をしてこられたわけですけれども、亡くなられるときに、遺言が愈々何か困った時には隣のさだしゃんに、熊谷貞代ちいいなさいますからね、貞しゃんに相談しろと言うて亡くなられたんです。二十何年間いうなら喧嘩し続けたその相手の人が、事実今でもそのまあ困った問題なんかの時には、言って相談に見えるそうです。もうほんとに何十年間、もうあちらからいうならば。いじめ抜かれたと言った様な事は更々なくて。
もうそれがもう天と地が引っくり返る様に、有り難いというものに成って来ておる。もうそれこそ家代々同じ親戚同士でありながら、血で血を洗うようなその間柄と言うものになっておる例は沢山あります。信心を頂いていうならば、その事を通して信心の稽古をさして頂いておると、そこに御神意が分かり御深慮が分かってくる、そして段々、なら年を取ってくれば取って来る、年限が例えば経つほどに、ほんとにおかげを頂いておったと言う事の広さ深さに、ただただ恐れいるとこういうわけなんです。
信心の尊いと言う事は、私はそう言う事だと。昨日野口さんの所へやらせて頂きまして、すぐ、ご霊前にお花のお供えがしてあった。一番まあ中央に盛り花ですねあのらんの花を中心に、見事に入れてありました。見事な花器にその後の方に、丁度あの熊笹のような、まぁ笹の一種でしょうね、が後にまあそのバックらんの花のバックに、そしてその真ん中に、高くあれは黄な花のチュウリップ、あ黄な水仙じゃったですね、水仙の黄ない大輪の水仙が二本こうさして。
そしてらんの花がこううしておるその根元ん所に、まぁようと見らにゃわからんと言う位けども、いっぱい紫の菊の花あれは都忘れと言いますね、都忘れが一番あの下ん所に、まあ根占の様にして一杯差してあった。なんともいえん、まぁ風情の花でした。そのあちらへ参りましたら、そのらんの花の後にいっぱいこう、笹が入れてあるその事をしきりに頂くんです。そしてあれは確かあの、蕪村の句の中にありました。「荒くまの、駆け散らしてや、笹の雪」と言う句があります。
荒くまの駆け散らしてや、笹の雪、私はそれを繰り返し繰り返し頂いておるうちにです、ほんとに神様の信心をしておる、それこそ細そうても長う続けていきよらなければ、わかる事じゃないなぁ、と言う事でございます。お礼を申し上げなければならない事に、お礼を申し上げんでおると言う様な、結果になってしまいます。信心を続けていきよるうちにです、信心の真を表していきよるうちに、今まで分からなかった事が、分かって来る。言うならば信心を踏み広げていくと言う事になるのです。
真ん中のらんの花は分からん、というこれは昔久留米の教会に、あの原口さんと言うまあ親分がおられました。今の原口なにさんですかね、県会議員は久人さんか、あの方の兄さんになる方で、大変熱心に櫛原の教会で信心をなさっておられました。その方を中心に、このわからん会という、若い蘭の会字は素晴らしいけども、ごろはわからん会とにかく信心の分からん者同士の集まり、謙虚な気持ちでまぁ付けられたんですね、久留米にああ言う会があるんです。
昔はここに参って来よんなる矢次さん達のグループには、なっちょらん会というのがありました。ほらほんとに熱心な方達ばっかりでしたけども、結局なっちょらんになってしまいました。そのわからん会もやっぱ、いつの間にかわからんごつなってしまいました。だから名前はこの体を、なんとかを表すちゅうがほんなこつですばい。そう言う意味で、合楽の場合はね、菊栄会とか松栄会とか、それこそよか名ばかりあんまり良すぎてから、又位負けしちゃどんこんいかんですけどもね。
とにかくそのそう言う様な事からですね、あのそのわからんと言うときにはその分からん、それでお知らせを頂いたから、ここで皆さんが蘭のお知らせを頂かれるときには、分からんと言う事に表現するわけです。成程野口さんとこの信心、昨日はもう私は一番感心します事は、あそこはもう親戚の方達が、みぃんな集まられる事です。もうほんとに感心します、ね。例えば親戚なんかちゅうならね、そのもう霊祭かなんかちゅうならなんばってん、もう必ず宅祭りにはもう皆夫婦そろうてです、ね。
子供達まで連れてもちろん子供達、娘やら息子達やらもう当然の事ですけどもその、富永さんのご親戚まで皆んな見えるです。そしてあぁしてほんとに信心が続いておると言う事に信心のないご親戚の方達が、不思議に思いなさる事があるだろうと思うです。あれほど熱心に、野口さんが信心をしよんなさったのに、野口家のいうなら中心になって信心をしよんなさったのに。
どうしてあの人があんな事故にあって亡くならなければ成らない様な事が、まあ今に分からんと言う事が、野口さん所の信心の中心じゃなかろうかと思うですね。もうこれだけはどげん考えたっちゃ分からん。子供としてみればお母さんがどうしてお母さんがあげな事故に会うて亡くなったじゃろうか、親戚の方達でんどうしてあのしんこさんが、あれだけ信心しよったつが亡くなるじゃろうか、そしてああ言う目に会うたっちゃやっぱこういう信心を続けて行くちゃ不思議で堪らんと思いよんなさるじゃろうと思う。
分からんそれが中心です。そこでならご神意御神慮をさせて貰うとです、それこそ荒くまの駆け散らしてや、笹の雪であります。野口の家なら野口の家をほんとに救わなければならない、助けなければならない、神慮神愛の表れがです、そこに荒治療の一つもしなければもう立ち行かんほどしの、めぐりがあったと言う事です。熊と言う事は、苦しいまとね、いうならばめぐりの親分のようなふうに頂くです。しかもかけちらしてありである。まん中に二本きな水仙がある、黄なと言う事は今中と言う事である。
そこであちらのお父さんをはじめ、息子嫁達に昨日私は話した事でしたけれども、黄なの色と言う事は、こうやって細々ながら信心がお母さんの後を受けて、続けられておるそしてこうして一年の一回の、その謝恩祭でもさして頂けけると言う、しかも後々段々おかげを頂いておると言う事だけに留まらずにね、黄なの水仙にこれに信心の熱情をかけなければ、いつまでたってもあんたどんが心の中に思うておる分からん事が、いつまで経っても分からんなりで終わってしまうよ。
どうしてお母さんがああ言う様な事で亡くなっただろうかと言う様な事が、金光様の信心を頂きながら、いつまでも分からんでしまえるよ、そしていつの間にか、まああきらめともつかなければ、なんともつかないので、そのその事を忘れてしもうて行くと言った様な事ではつまらん。ああ言う荒治療を受けたと言う事は、めぐりいうならば野口の家の、愈々子孫繁盛家繁盛のおかげを頂く事の為に、どうでもそこん所を取ってのけなければならなかったと言う事がです。
例えて私の方でいうならばです、大坪さんのうちはあれだけの熱心の信心をされるのに、どうしてあげな貧乏が続くだろうか、どうしてまた次々と難儀な事が続くであろうかと、半年の間にね七ヶ月の間に兄弟三人の葬式をしなければ成らない様な事が続くだろうか、それこそ信心のないもんでも、あるもんでも分からんことばっかりであった。そこになら私共の、私の場合は難儀が起れば起るほど、神様へ向ける信心の熱情というものは、かけられていった。
いうならば黄なの色に赤の色が注がれて、そこからわけは分からんけれども、安心の心例えば弟の戦死の公報ん時なんかは、私はその広報を受けたその月から、御本部のお参りをさして頂いておる。そしてほんとに分からんから、どういうわけに一家中のものがこれほでの祈り願いを持って、無事の凱旋を願ったのにも拘らず、どうして戦死したのであろうか、もう神様にじきじき談判で。頂き聞かなきゃおられないような感情、人に言うたっちゃ分からん。まあ神様のご都合じゃろう位な事では承知がでけん。
そいで御本部参拝でもさせて頂いて、それこそ教祖様の奥城に一晩中でもひとつ座りぬかせて頂いて、勿論お知らせなんかを頂けると言う事はないけれども、お知らせを頂くと言う話だから、昔の先生方は色々と神様からお知らせを頂かれたげなから、もうその事だけでもよいから答えをひとつ頂きたい、と思うて一晩中御祈念をさせてもろうて、どう言う訳に弟が戦死したのか、どう言う訳こう言う様な難儀が続くのか、その訳を聞きたいというのが、御本部参拝の私が月参りをさして貰う一番始りである。
勿論お知らせを頂けるわけでもなかったけれどもです、私の心の中にはそれは自分ではもう説明でけないですけども、ね、ほんの今が先の先までです、私の心の中に真っ黒い雲が閉じておるような、心の状態が一辺に晴れてきたんです。そして有難うして有難うして、と言う心が開けてきた。もうこれはどうにもしようのない事なんです。行きがけに例えば汽車から、降りられる復員の軍人さん達を見ると、ひょっとしてあんな中に間違うてでも、弟が入ってだんおらんだろうかと言う様な気があったのがね。
金光駅に帰るためにあそこへ行かせて頂いたら、丁度あの鈍行の京都行きが着いた、そこから私は沢山の復員の軍人が大きなリュックを担いで降りてきた、あの中にひょっとして弟がほんなこて混じって居る様な事はないじゃろうかと、言う様な心がですねもう更々起らない。もう皆さん本当にご苦労さんでした、ともう一人一人にお礼を言うてまわりたいごとある心が起きてくるんです。
汽車に乗ったら又有り難い、車窓から見るちょうど、稲がこのぐらいばっかり伸びておる時分でしたが、もうその稲が伸びておる事が有り難い。あの時分なもう窓から汽車に乗らんならんような時代だったけれども、席があったから掛けさせてもろうた、したらお年寄りの人が横に来てから席を譲ると、もうその譲る事がもう、有り難とうして有り難うして、もうとにかくもう汽車ん中でもうそれこそありがた涙の流れ続ける、と言うごと有り難うなっとたです。
これは不思議分らんです、私にもお知らせを頂いたわけでもない、こういうわけじゃったぞと言うて、お知らせを頂いてもです、心がすっきりせんなら、ね、今のようにそれこそ日々神様のお知らせを頂いて、そのお知らせを皆さんに、例えば聞いて頂いてもです、ね、胸がすっきりせにゃならんと思うても、どげん思うたっちゃこれだけはすっきりせんと言う事が、あるのでしょうけれどもです、結局信心の熱情です。
私の心の中にどうしてと言う心がです、どうして所かお礼を申し上げなければおられない心なんです。黄なの水仙にこれに黄なの色にね、赤と言う信心の熱情を添えると、それが紫の色になる。紫といや皆さんがいつも頂かれるように、安心信心の愈々皆さんの願いの願目です。安心のおかげを頂かして貰う、安心喜びの生活をさして貰う、これならばあの世までも持って行けれるぞと言う様な信心。
だからここにはどうしても、真の信心を表していくと言う事にもです、それに信心に熱情が掛けられなければ、これは説明は出来ませんけれども、心の中に有り難いと言う事いうなら、弟なら弟の御霊にです、ほんとにあん時目の前が真っ暗になるように思うとったけれども、あのあんたの戦死を堺に、私の心の中にこういう素晴らしいものが開けてきて、私一家が大坪一家が助かるだけではない。
沢山の人が助かる様になった、その元を作ってくれた御霊として、お礼が言えるときに御霊が生きてくる、御霊が喜ぶ私はそう思うです。御霊を生かすと言う事はそう言う事だと思うです。そこで野口さんあのどうでも、一つこの野口さん一家のいまの信心が細々と続いておると言う事だけではなくてです、細々続いて踏み広げていくと言う事の為にです、信心の熱情をこれに懸けなさらなければいけません、と言うてお話しをした事でした。根元に都忘れのいわゆる紫の菊の花が、もう密かにと言うような感じで。
こうしてみなければ分からんくらいに、下の方にいっぱい入れてあるけれども、上かららんの花がこうやって被いかぶっとるから分からない。まあそれが富永さん、あなたの信心じゃろうと言うた事でした。霊神様にご挨拶させて頂くときに、野口さんが亡くなった野口さんが玉串をこうやって上げておられるところ、そして横にあのよしこさんが御祈念をしておられるとじゃ、そしたらほらよしこさん、ほらちゅうてからその、玉串のこの根の所でですね、こうつつきよんなさる所を頂いた。
御祈念はしござるばってん、眠ってござるという感じなんですよ。そして言葉で出すのは、ほらよしこさん一緒に玉串上ぐるが、と言うような感じで玉串の根元で、こうやって起こしよんなさるとこでした。そしたらもう前に座っておられて、富永さんがもうほんとにその通りどこじゃなかていうわけです。信心なしよるこうやって、御祈念なしよるばってん、御祈念しながら眠っておるのが今の私の状態じゃろう、ね。だから信心の言うなら富永、野口の芯にこれからなんなさらなきゃならないほどしの。
まあお母さんの信心の期待はあなたにあったには違いないて言う事。が眠っとたんじゃ出来んから、神様御霊様が起こしござると、ね、そしてここにほんとに信心の熱情をかけて、いかなければいうなら、その分からんだけで終わったんじゃ、いけませんちゅうこと。こういうおかげを頂かせて頂く事の為の、この難儀であったそれはもう難儀ではなかった、神愛であった神様がこういう、おかげを力を下さる事の為の、働きであったと分からせて貰うと言う事です。
だから勿論信心をさせて頂けば分からん事はもう、愈々深く深刻になってくる。なら私が分かれておる所はここまでですけれども、まだ私も実際は分からん事が一杯あるのです。でもその分からん事を段々分かって行くと言う事がです、私は信心をいうなら信心の真を表していかなければ、分からん事だと思う。それが私は踏み広げて行く事、分からん事が段々分かって行くと言う事が、踏み広げて行く事だと思う。
踏み広げて行くのですから、分からん事が分かって行くのですから、そこにまたおかげが伴う、伴のうて来る事は勿論であります。しかもその踏み広げた道に草をはやさんようにと言う事の為にです、愈々信心の真を表しつつの、信心の稽古で無からにゃいけん。信心の稽古をしとるごたる、けれどもいうならひとっつも、字は書きらん字は覚えとらん綺麗な字は書けとらん、
書けんはずたいいっちょん稽古しよらんもん、ただ筆を持ってから真っ黒こうやってからねじくりよるだけ、だからそのほこ紙も真っ黒、ほこ紙になっとるから、いかにも普通から見ると、はあ毎朝毎朝あげんして参って、信心の稽古しござると見えとっても、稽古をしなかったら、ただ筆で真っ黒紙にねじくりよると同じ事です。一字一字を丁寧にです、ね、それこそ信心の真を表していくという、信心を進めての信心の真を表していくと言う事に、様々ないわば角度から、例えて言うならばです、ね。
川上さんの例をとりますなら、さあ今日は一家四人でそろうて、ね、これが今日親先生の仰った信心の真を表す事ばい、というてならその自動車起こしに、まあ奉仕したと言うわけなんです。そう言う稽古が私は続けられると言う事が、信心をほそぼそでも続けていきよる事であると同時に、細い道でもです、踏み広げて通って行くと言う事は、こう言う様な事だと思うです。
昨日野口さんとこのお祭りを仕えさせて頂いて、お互いにゃ分からん事が余りにも多い。ただ分からんためになにか、ね、信心が一つもそれから先進まん、だから分からん事は、そら限りなくあるのですけれども、それこそ潮の如しであります。けれどもそれを一つ一つ分かっていくという、信心の楽しみ信心の喜びと言うものが、いわば踏み広げてとおると言う事はそう言う事だと思う。
そしてこれはもう理屈ではない、これはもう私の心の中を割って見せるよりほかに仕方が無い。もう理屈じゃないただ心が有り難うなって行くと言う事がです、信心をして行くと言う事でなくて、信心の真を表していく、信心の稽古がでけていくときに、信心しとれば一年一年有り難うなっていくと言う事にもつながっていくと思うですね。
どうぞ。